2007年05月31日

ロータリーエンジン発売40年<おまけ追加>

昨日、5月30日は、マツダが初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」を発売して、40周年の節目だったそうです。

マツダのプレスリリースを紹介します

マツダ、ロータリーエンジン車発売40周年を迎える        2007年05月30日

 マツダ株式会社(以下、マツダ)は本日、ロータリーエンジン車の発売開始から40周年を迎えた。これまでにマツダが生産したロータリーエンジン車は、累計で約197万台(2007年4月末現在)となっている。

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「コスモスポーツ」 (1967年5月30日発売)

<以下略>

マツダはこれに合わせ、ロータリーエンジン車発売40周年記念ウェブサイト(http://www.mazda.co.jp/philosophy/rotary/)をオープンし、読み応えがあるものになっています。


オイラ自身はロータリーエンジン搭載車に乗ったことがありませんが、友人が3代目のRX-7(走り屋名:FD3S)に乗ってました。後期型のシーケンシャルツインターボ搭載車でしたが、おっそろしくコーナーリングが速くて、走り屋御用達なのがうなずけました。ちょっと運転させてもらったのですが、エンブレが全然効かず、「何じゃこりゃー! エンブレないやん!」と文句を言うと、「ツーストのバイク乗ってる奴に言われたくない」と切り返され、沈黙した苦い経験も(^_^;(ツーストのバイクはエンブレが全く効かない)

さて、マツダの特設ページを見て気がついたのですが、ロータリーエンジン搭載第2号は意外にも、ファミリアだったんですね。てっきりルーチェだと思ってた(^_^; コスモ発売の2年後、1969年だそうです。
その後、ルーチェ、カペラに載り、1971年に「サバンナ」が発売。サバンナは通称「RX-3」と呼ばれたクーペの他、セダンやスポーツワゴンもあったそうです! 時代が早すぎましたね…。1990年代末ならバカ売れしたのに(爆)

で、とんでもない車も出ました。マイクロバス「パークウエイ」のロータリー版です(爆)。後のRX-7にも搭載される13Bエンジン(654×2ローター)を載せましたが、何せロータリーエンジンのトルクの薄さは天下一品で、26人乗りのマイクロバスに使うこと自体無茶。わずか44台しか売れなかったそうです。

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マツダ・パークウェイロータリー26。これがロータリーエンジン搭載だなんて、信じられません(爆)
写真はマツダの特設ページより

また、トヨタセンチュリー日産プレジデントに相当する「ロードペーサー」が1975年に発売されましたが、短命に終わりました。まあ、高級車でロータリーっていうのもねぇ…。このロードぺーサー、一度しか見たことがないですが、アメ車みたいだなぁという印象だけしかなかったです。ちなみに、マツダ初の3ナンバー車だったとか(爆)

その後、ルーチェとコスモが兄弟車になり、コスモにレシプロエンジンも載ることになったため、ロータリー専用車はサバンナRX-7だけに。ですが、初めてのロータリーターボはルーチェ/コスモの方に載りました。RX-7に載せてやりゃいいのに…。

1985年にRX-7が2代目にモデルチェンジ。走り屋用語で「FC3S」の登場です。これは最初からロータリーターボ搭載で、走り屋に絶大な人気を誇りました。オイラが車を覚えた1980年代の終わり頃、走り屋の車って、FCかハチロク(レビン・トレノ)かS13(シルビア・180SX)か、って感じでしたよね…。一部パルサーとシビックもいたりして。

で、1990年にトリプルローターのユーノス・コスモが登場。漫画「メカドック」で那智さんが作った「トリプルローター」がホンモノになるなんて…コスモはあこがれの車でしたね。バブルが弾けるとともにあっという間に消えましたが。
そういや、このころにはロータリーエンジンはコスモとRX-7だけになってました。

で、1991年のルマン24時間レースで、4ローターエンジン搭載のマツダ787Bが優勝します。もう、これは感動的でしたね。次の年からロータリーエンジンは出られなくなるところでしたから。ドライバーは現役F1ドライバーのジョニー・ハーバート、ベルトラン・ガショー、元F1のフォルカー・バイドラーという、ちょっと反則的な体制でしたが、ロータリーに初の栄冠をもたらすわけです。でも個人的には寺田陽次郎組に勝ってほしかったなぁ…

その後、排ガス規制の強化もあり、2002年にRX-7が廃盤。もう、ロータリーは消えるかと思われたのですが、2003年に新ロータリーエンジンを搭載したRX-8が発売。マツダのロータリースピリットは生き続けました。

昨年には水素を燃やす「水素ロータリー」も発表。今後もロータリーはマツダとともに生き続けるようです。


ともあれ、ロータリー40年、おめでとう!

自分が乗る車になるかどうかはわかりませんが、このエンジンには日本の「ものつくり」の魂が息づいていると思っています。その開発の苦労はNHKの「プロジェクトX」でも紹介されるなど、有名ですよね。

今後も未来永劫、走り続けてほしいですね。



<おまけ>

REDFIVEさんが乗ってたというコスモAPはこういう車です(^^)v

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写真はマツダホームページより


あと、ロータリー40周年記念ブログパーツを右サイドバーに貼ってみました。いかがでしょうか?

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posted by こめろんぐ at 22:50 | Comment(9) | TrackBack(0) | モースポとバイクと佐藤琢磨と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
の続きです。



月曜日。雨だったが、ANZ銀行でようやく、キャッシュカードをゲット。暗証番号を登録し、旅の資金の3分の1を手にする。これがなくっちゃ、この旅は始まらない。

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【写真】オーストラリアの電話ボックスはオレンジ。中の電話ではクレジットカードが使用可能だった。当時の日本ではテレカだけだったからすごい!と感(┳∧┳)動。


火曜日。ここシドニーには、日本人が働くバイク屋が何軒かある。まずは、これらを回ることが、この旅での相棒探しの第一歩だ。

南半球の12月は初夏である。じりじりと太陽が照りつける中、あえて地下鉄に乗らず、地図を片手に街を歩く。

何か物足りないと思ったら、セミの声が聞こえない。オーストラリアのセミは、もっと暑くならないと出てこないらしい。

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【写真】きれいな公園だ。緑がたっぷりとられてて、気持ちいい。

1件目に入った店は、日本人スタッフがいるわけではないが、中古バイクを多く在庫していた。ひとまず、お目当ては「スズキ DR650*」と決めていた。オフロードで大排気量ながら、単気筒なのでエンジンやキャブの整備がしやすい。おまけにこれまでスズキ車ばかり乗ってきているので、乗車感覚は同じだろう、と踏んでいた。他の大排気量オフロード車は2気筒が多く、整備性でやや、難であった。

予算が2000ドルのオイラにとって、新車は無理。DR650の中古を探すが、どれも4000ドル超で(もちろん、年式も新しい)ここではお目当てはない。ただ、聞き込みで、「旧型のヤマハXT600テネレなら、3000ドルくらいで見つかるかも」ということはわかった。XT600テネレはヤマハの旧型の単気筒オフローダーだ。ヤマハはすでにテネレを660cc化し、2気筒の「スーパーテネレ」も出していた。「600テネレ」は旧型だ。なるほど、旧型テネレも候補に入れるか。そう決め、店をあとにする。


次に向かったのは日本人スタッフのいる店。ここではバイクを探すと同時に、「予備パーツの調達」のしやすさを調べたかった。何せ、旅程は2万キロ近くに及ぶ。タイヤだけでなく、ブレーキパッド(シュー)やアクセル・クラッチなどに使うワイヤー類、その他消耗品を、旅のはじめに確保しておきたいのだ。

そこは、ヤマハのパーツに強い店だった。他のメーカーのパーツもある程度、そろえているという。

「もし、仮にスズキのバイクのブレーキパッドがほしくて、取り寄せになったら、どれくらいかかりますか」と聞くと、そのスタッフは「うーん、そうだね。1カ月はみた方がいいかも」。えええ!何でそんなに?と思ったら「ここでは日本車は外車だからね。部品なんかみんな、船便さ。日本で外車の部品を取り寄せたら、同じくらいかかるさ」。

そっかー。ここでは日本車は「外車」かぁ…。その感覚、肝に銘じておこう。

その店に偶然だが、先ほどの店で進められた旧型XT600テネレ*(中古)の在庫があった。

3200ドル。予算外だ。

しかし、心が揺れる。

旧型とはいえ、きちんと整備されている。走行距離は45000キロ。エンジンもスムーズに回るし、足回りもオーバーホール済みだ。しかも、燃料タンクが純正よりもさらに大きなビッグタンクに換装されていた。「こいつは上玉だ」と判断できる。単気筒なので整備性もいい。というより、こいつのエンジンのスケールダウン版が載っている友人の「SRX400」をいじった経験があるので、エンジン、キャブ周りの整備は自信がある。

どうせ、帰国時には売ってしまうから、ある程度のリセールバリューがあるのなら、元値がいくらでも同じようなものだ。とはいえ、1000ドル以上の差。厳しい。

悩んだ。「むしろ、350ccくらいのほうが、パワーと重量のバランスが取れててのりやすいよ。アウトバックならなおさらだ」、とアドバイスを受けた。なるほど。

「また来ます」と声をかけ、店を出た。

外は相変わらずまぶしい日差しだ。空が高い。

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【写真】当たり前のようにきれいに整備された公園の芝。あちこちにスプリンクラーの穴が空いていた。


次の店では、思ったより中古部品が充実していた。特に中古キャリアの在庫は凄い。予備のガソリンタンクを積むキャリアがほしかったので、これはいい店を見つけた。ただし、バイクはどれも高い。ホンダのアフリカツインやドミネーター、ヤマハのスーパーテネレ*…どれも4000ドル超だ。ホンダのXL250Sが2200ドルだったが車検なし、保険なし、タイヤのブロックなし。かなり程度も悪い。こりゃ、しんどいな。

前の店で見た旧テネレがますます、よさげに見える。アレなら、予備タンクを持ち歩かなくてもよくなる。日本から送ったタンクは送り返せばいい。結構楽だぞ…。ただ、お金が厳しくなるけどね…。


そろそろ日が暮れてきた。宿に戻ろう。今日は同室のヤスさん(第2回「ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス」参照)の誕生日だ。オージービーフのステーキでお祝いすることになっていた。一度宿に戻った。


宿にはユースホステルの中にあるような掲示板がある。そこに新しいメモ書きが貼られていた。


「4 SALE  YAMAHA XT250* Rambo」

オーストラリアでたまに見かける「売ります」だ。「For」と書くところを「4」と書くところが豪州らしさだ。

ほほー。XT250か。Ramboとあるのは、おそらく映画「ランボー」でスタローンが乗り回していた、あのタイプに違いない。珍しいなぁ*。 っていうか、これを書いたの日本人だな。直感だが、あのバイクを「ランボー」と呼ぶセンスは日本人だろう。
メモには「走行8000キロ、保険アリ、2200ドル」とある。ふうむ。値段はまあまあ。ただ、豪州の砂漠を走破するにはやや、役不足か。

そう。今回の旅の最大のハイライトは、砂漠横断なのだ。生半可なバイク、生半可な腕は即「死」を意味する。

これまで、レースでモトクロスの腕を磨いたり、趣味でバイクの整備をしてたのは伊達や酔狂ではない。この数年間、この夢のための修行だと思って、遊び以上に真剣に取り組んできた。

さて、XT250か…ふうむ。役不足かもしれないが、でも、ちょっと気になるなぁ…。


部屋に戻り、ヤスさんとマサさんと買い出しに出る。近くのスーパーの肉売り場を見て驚いた。牛肉が異常に安いのだ。100グラム1ドルしない。日本の豚肉並み、いや、それ以下だ。しかも、パックに入った肉はいろんなサイズがあった。その中にとんでもないものを発見した。

Tボーンステーキだ!

T字型の骨に、片方がサーロイン、もう片方がフィレ肉が付いているというとんでもないステーキ肉。マジか。こんなスーパーで、テレビや漫画でしか見たことがない、幻のTボーンステーキの生肉が売ってるのか。信じられねぇ。だが、パーティーには最高だ!3人分、お買い上げとなった。


宿の部屋のコンロで焼き、ビールで乾杯! うまかった。ステーキだけで腹を満たすなんて、なんて贅沢なんだ。


その後、ロビーでビールを飲みながらくだらない話をしていた。マサさんはあさって、出発するという。チャリンコを分解して、船便で送っていたのが今朝、到着し、今日は宿でずっとチャリンコの整備をしていたマサさん。これは派手に見送らねば。
てか、ボクは未だに相棒が決まっていないのだが。


そこへ、同い年くらいの日本人がやってきた。

兄さん「キミか? バイクを探してるのって」

おー。この宿の人には会う人ごとに「探してる」という話をしてたので、わかったのだろう。

ボク  「ハイ」
兄さん「ワシのバイク、買わへんか?」
ボク  「車種は何です?」
兄さん「ランボーXTや」


あの、張り紙の人だ!なんという偶然。

彼はちょうどバイクでの旅を終え、帰国する前だという。バイクは新車で購入し、軽いダートは走ったが、アウトバック*は走っていない。エンジンオイルの管理はしっかりしていた。何なら見てみてくれ。とのこと。


ちょうど、外にバイクを止めているという。見てみた。

なかなかキレイだ。キックレバーをける。エンジンは一発でかかった。フケはスムーズだ。足回りのへたりも少ない。

見た目は…暗いので何とも言えないが、少なくともあの店で見た旧テネレよりはきれいだ。ほとんどダートを走っていない、という言葉はうなずける。

ボクは「ちょっと考えさせてほしい。今は少し酔っているので」と答えた。

これが、「相棒」との出会いだった。


<続く>


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<補足>
●くどいようだが、当時の1オーストラリアドル=約80円

●スズキDR650 スズキの大型オフロードバイク。650ccの空冷単気筒ながら、車体は250ccのオフローダー並の大きさに収まっている。これがさらに大型化した「DR800S」は、その形状から「怪鳥」と呼ばれる。

●ホンダ・アフリカツインは750cc水冷V型二気筒エンジンを搭載したビッグオフローダー。パリダカにも多数出場している。ドミネーターはXR600のエンジンをボアアップした650cc空冷単気筒エンジン搭載のツアラー。型式名NX650。

●ヤマハXT600テネレ 600cc空冷単気筒エンジン搭載。このころは660ccにスケールアップされた新型にスイッチしており、600は旧型になっていた。また、ヘッドライトをボディーカウルに固定化した「XTZ」もある。「スーパーテネレ」は正式には「XTZ750スーパーテネレ」。750cc水冷並列二気筒エンジン搭載。「テネレ」の名の由来はサハラ砂漠の中でももっとも過酷とされる「テネレ砂漠」。もちろん、このバイクもパリダカに出場している。

●XT250 ヤマハの250ccのオフローダー(4スト空冷単気筒エンジン)。当時の日本はカリカリの2ストモトクロスレプリカが全盛で、XTのような4ストダートトラッカーは見向きもされず、廃盤になっていた。その後、ダートトラッカーが再び人気を博し、国内でも復活している。

●アウトバック オーストラリアの「不毛の大地」を差す言葉。
posted by こめろんぐ at 12:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする