2006年09月20日

いのちの値段

死亡交通事故の民事裁判では、文字通り、「亡くなった方の命の値段」をやりとりします。

こういうと、身もふたもないのですが、亡くなった方の遺族は、主に

1:亡くなった方が今後、稼ぐはずだった所得から生活費などを控除した額(遺失利益)
2:家族が亡くなったことによる精神的苦痛を慰謝するための対価(慰謝料)
3:破損した物品(車など)の被害回復(損害賠償)


の3つの金を事故加害者に請求することができることになっています。(1は「相続」という形になるようです)

実際には、ほとんどの場合、事故加害者本人と交渉するのではなく、事故車にかかっている任意保険の保険会社との交渉になります。


多くの場合は示談が成立し、保険屋の言い値を受け取ることになるのですが、算定方法に不満があったり、「事故の真相が知りたい」と遺族が望んだ場合、正式に民事訴訟となります。



交通事故の民事訴訟は、裁判所にある開廷表では、個人対個人の表記となり、事件名も「損害賠償等請求事件」となるため、なかなか「これが交通事故の民事裁判だ」と見つけるのは大変です。ただ、交通事故関係を数多くやっている弁護士がいるので、これを目安に法廷をのぞくと、高い確率で交通事故の民事裁判に遭遇します。



私はいくつかの交通事故の民事裁判を傍聴しましたが、民事は過去のエントリでも触れたとおり、書面のやりとりばかりで非常にわかりにくいのです。ただ、裁判所で印紙代を払えば、やりとりされた書面は閲覧できるので、過去にあった意見のやりとりも含めて大まかにつかむことはできます。




ある交通事故で9歳の息子さんを失ったお父さんが、加害者を訴えた裁判がありました。


その交通事故は、あり得ない状況で起きました。おばさんの乗用車がハンドル操作を誤り、車道から歩道に突入。歩道を数百メートル暴走し、歩道を走っていた自転車4台を次々とはねとばしました。そして、1人が死亡、3人が大けがを負ったのです。子供たちには南野落ち度もありません。安全なはずの歩道を走っていた子供たちがなぜ、輪禍の犠牲にならねばならないのでしょうか。あまりに理不尽な事故でした。


このおばさんは刑事で実刑を食らいました。事故の状況だけでなく、事故後もまったく誠意のない態度で遺族に接しつづけたことが、実刑に大きく傾いたのだと思います。

そして、お父さんら遺族が賠償を求めて民事訴訟を提訴しました。おばさんが相手ですが、実質的には保険会社との戦いとなりました。

お父さんは、先ほど上げた請求のうち、「遺失利益」については「子供が大学に通い、就職して平凡に暮らせたと仮定した額。低金利時代を反映し、中間利息控除を3%で計算せよ」と、「慰謝料」については、30年間にわたって毎月月命日に分割払いせよ、と主張しました。

保険会社は「息子が大学行くかどうかわからん。通常通り、高卒で働いたと仮定しろ。中間利息控除も昔から5%と決まってるんだ(゚Д゚)ゴルァ」「慰謝料の分割払い? 寝言は寝てから言え」的な主張をしたのです。

現在の「遺失利益」の算定では、小中学生以下の人が亡くなった場合、その子は大学に進学する保証がないとして、高卒で働いたと仮定することしか認めてくれません。世の中、ほとんどの人が大学に行っているのに。悲しいかな、これが裁判所の「常識」です。大卒より高卒の方が所得が低いと見なされます。

遺失利益の算定というのは、その人が将来得られたと思われる金額を足し算するのですが、未来にもらえるはずだった金を今受け取ると、本来受け取るべき時期になったときには利息が発生してしまうため、「得する」ことになってしまいます。この利息を引くのが「中間利息控除」です。

で、この中間利息控除なんですが、なんと、この低金利時代に、「5%」の利息が付くと仮定するのが一般的なんです。そんなに利息が付くわけねえだろ! というのが一般常識なのですが、裁判所には通じません。そして、5%で計算すると、控除額が大きくなるため、保険屋さんにとっては支払額が少なくなり、ありがたい限りだったわけです。


一審の地裁は、慰謝料の分割払い(30年間毎月、月命日に)を認め、中間利息控除も3%でOKと判断しました。ただ、「大卒扱い」は認めませんでした。2審の高裁もその判断を支持しました。

ところが、最高裁は「利息が3%というのはどうなの? 普段通りに判断してちょ」と高裁判決を破棄、審理を高裁に差し戻したのです。


もう一度行われた高裁の審理で、お父さんは利息計算について「現在主流の複利式ではなく、かつては認められていた単利式を採用し、現在の低金利時代との整合性を図るべきだ」と主張。さらに「うちの子が大学に行っていたはず、ということを認めてくれ」とも訴えました。


実は中間利息控除の計算方法がかつて、東日本の裁判所ではライプニッツ式という複利計算、西日本ではホフマン式という単利計算で行われた額を認めていました。いつの間にか複利のライプニッツ式に統一されていたのです。


さて、2度目の高裁は、新しい主張の「単利=ホフマン式」は認めませんでした。その代わり、息子さんが大学に行くことを仮定することを認めたのです。

お父さんはさらに計算方法の是非を最高裁に判断を仰ぐべく、上告。地元紙報道によると、先日、最高裁は上告を棄却したようです。


お父さんは金ほしさにこの裁判を戦ったのでしょうか。





そうではないと思います。





お父さんは、亡くなった息子さんが、本来生きるはずだった人生を認めてもらいたかったんだと思います。夢も希望もあった息子さんの未来が突然、暴走自動車に奪われた、その喪失感は筆舌に尽くしがたいものがあります。

お金の額より、その認定内容にこだわった。だからこそ、これだけ長い裁判をやり抜いたんでしょう。傍聴席からの勝手な感想なのですが。

裁判で勝ち得た「いのちの値段」は、失った家族の「人生の証」でもあった。そう信じたいです。



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posted by こめろんぐ at 20:15 | Comment(2) | TrackBack(0) | 実録!?裁判傍聴日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ですね。

こめろんぐさんに激しく同意です。
それでなくたって可愛いさかりに我が子を失えば、一生その面影を忘れることなんてできないのですから。
Posted by カンジ at 2006年09月21日 01:17
カンジさん>こんにちは。
ホント、可愛い盛りだけでなく、可愛くない盛りに我が子を失っても、やはりその子の面影を追うそうです。
この手の裁判では「子供を出汁にしているが、結局は金ほしさか」と誹謗中傷する輩が多いと聞きますが、おまえらは親の気持ちがわからんのか、と問いつめてやりたいですね。
Posted by こめろんぐ at 2006年09月21日 10:13
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