2008年02月22日

1992年12月28日 夢と冒険と

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」
1992年12月14日 いよいよ旅立ちのとき
1992年12月15日 不思議な光景
1992年12月16日 前途多難。(地図追加)
1992年12月19日 相棒の危機
1992年12月23日 アデレードの恋、そして別れ
1992年12月24日 最高のクリスマスプレゼント
1992年12月26日 どこまでも、どこまでも続く直線道路

の続きです。


27日夜、Balladoniaロードハウスにライダーが来た。顔がアジア系なので声をかけると、香港人だという。バイクはBMW K75。すごいバイクだが、メチャクチャに壊れていた。どうしたの?と聞くと、「トラックを追い越そうと思ったら、そのトラックも対向車線に出やかったのさ。追突しそうになってハードブレーキングをしたため、転倒して一回転し、ブッシュで止まった。ひどい目にあった」。すげえ…。それだけのクラッシュなのに、フロントフォークも曲がってないし、フレームも無事。エンジンのヘッドカバーも大きくえぐれてるが(BMWの2輪のエンジンは水平対向エンジン)、エンジンはかかる。頑丈じゃないか、BMW。高いだけある。


12月28日朝。Balladoniaロードハウスの夜明けは早い。何せ、時差を修正したばかりだ。6時にはすっかりお日さまが高くなっていた。

簡単な食事を済ませ、7時半に出発する。

いよいよナラボー平原のラストステージ。緑の草原の中を走ったと思うと、うっそうとした林が現れ、最後には北海道・美瑛を彷彿させる丘の光景が広がる。世界は美しい。風も気持ちいい。

しばらく行くと、対向車線に信じられないモノを見た。

電動車いすが車道を走ってる。

そんなバカな。ここは街中じゃない。人がまったく住まぬ地、ナラボー平原だぞ?

思わず停車する。すると、背後から車がやってきた。サポートカーだった。

なんでも、彼はオーストラリア人で、ハンディキャップを乗り越えるべく、この電動車いすでナラボー平原横断にチャレンジしているのだそうだ。

サポートカーのスタッフがステッカーをくれた。こんなキャッチフレーズが書かれていた

「Keep the DREAM alive Keep on trekking」

夢を生かせ、前を向いて歩き続けよう。

なんだか、ものすごくでっかい勇気をもらった。彼と握手し、お互いの道中の無事と健闘を誓い合った。


kurumaisu-tabi-s.jpg
ステッカーは予備タンクに貼った。つらかったとき、元気をもらったステッカーだ。

さあ、行こう。


出発から3時間半、ようやく町が見えた。Norsemanだ。2日半かけたナラボー平原横断はここで終わった。長かった。ホントに長かった。


さて、Norsemanからパースまでは道が二手に分かれる。1つは北回りで金坑の町・カルグーリーを経由し、内陸沿いに走るルート。ここには奇岩・ウエーブロックがある。もう一つは南回りで、海沿いにパースへ走るルート。風光明媚な観光地が点在している。


ボクは南回りを選択した。北回りは見るべきところがウエーブロックしかないが、ウエーブロックはそれほど、規模が大きくないらしい、というのだ。それに、ボクは海が好きなのだ。

時間はお昼というのはまだ早い。この際、もうちょっと走って昼食にしよう、と思い、ガソリン給油のみで出発。これが失敗だった。

海岸の町・エスペランスまで、町らしい町がなかった。ようやく、遅めの昼食にありつくが、べらぼうに高い。昨日までは長距離の連続だったので、ここで泊まろうと思っていたが、キャラバンパークの値段もメチャクチャ高い。
ここは西海岸の高級リゾート地なのだ。妙に俗化してて、ひなびた港町というイメージはガラガラと崩れ去った。
おまけに銀行も「BOXER DAY」とかで閉まっている。
なので、さらに先へ走ることにし、180キロ先のRavensthorpeまで走った。今日はここまで。


翌29日。ゆっくりおきて午前8時に出発。この辺りの道は、アップダウンあり、ワインディングありで、ここまでの「飽きた」状況にはならない。特にナラボーは、バイクで初めて「居眠り運転」一歩手前だったほどだしなぁ。ほどよい変化は、返って疲れない。車だと「カーステレオ」があるのでさほど、飽きないそうだが。

しばらくは内陸の道を走り、昼過ぎに港町・アルバニーに到着。街ブラし、昼食のハンバーガーを頂く。ちなみに、このアルバニーの郊外にはもろ「ピンクレイク」という湖もあるが、この日は天気が悪く、ピンク色に見えなかった。残念。

アルバニーからデンマークまではまた海の見えない国道1号線を行く。地図上では海が近いのに、そのにおいすらしない。海が見たくなり、デンマークで脇道に入る。Ocean Beachという浜があるようなのでそこを見たくなった。


nanpyouyou-hama-1.jpg
しつこいようだが、南氷洋である。海が青いなぁ…。


さて、4時に出発。国道1号線はこのあと、内陸を北上してパースに向かう。ボクはこのルートに来たからには、南氷洋とインド洋の境目にあたるリーウィン岬に行きたい。なので、国道1号線を外れる必要がある。

国道1号線を外れると、そこにはまるで北海道のような風景が広がっていた。牧場地帯、森林、ワインディング。こういう道は懐かしさすら感じる。カーブがいとおしい。


aus-yamamichi-1.jpg

日が落ちる前にペンバートンという街に着いた。スーパーがまだ開いていたので、ステーキ肉を買い込む。それでも5ドル。やすい。サイドディッシュは野菜をコンソメスープで煮たポトフ風。それにしても、米をガソリンバーナーとコッヘルで炊くコツが完璧につかめてきた。まあ、毎日やってるもんなぁ。


明日はインド洋を拝むはずだ。そして、いよいよ西オーストラリア州の州都、パースにつくはず! てか、年末だぞ。思いっきり。




komelong_01-160.gif続きを読む
posted by こめろんぐ at 22:22 | Comment(2) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月13日

1992年12月26日 どこまでも、どこまでも続く直線道路

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」
1992年12月14日 いよいよ旅立ちのとき
1992年12月15日 不思議な光景
1992年12月16日 前途多難。(地図追加)
1992年12月19日 相棒の危機
1992年12月23日 アデレードの恋、そして別れ
1992年12月24日 最高のクリスマスプレゼント
の続きです。



朝。Cedunaの街のキャラバンパークをあとにし、ロードハウスでガソリン、食糧を仕込む。
ここから先、街らしい街は1200キロほど先のNorsemanまでない。地図上にある地名は「ロードハウスの名前」だ。
「Next Service 151km」の標識が見える。
「ちゃんと準備したか? ここから先は自己責任でよろしく」との警告とすら感じる。

ナラボー平原。オーストラリア南部に横たわる広大な不毛の大地だ。ナラボーとは現地の言葉で「木が生えない」という意味。でも、砂漠ではない。灌木は生える。人は寄せ付けないが、カンガルーやエミュー、ウォンバットなど野生動物はここで暮らす。

この平原を横断するルートは3つ。やや内陸部を横断する鉄道「インディアン・パシフィック」、その鉄道横を通る未舗装のストックルート、そして、平原の南端を通る舗装道路・国道1号線Eyer Highwayだ。

ボクが今回行くのは、3番目の舗装路。一番楽なルートだ。それでものっけから「脅し」が入る。どんなスケールなんだ。ここは。

「ナラボー」とはいえ、しばらくは「木」があった。いくつかの緩いカーブを抜けるうちに木の背丈はどんどん小さくなり、やがて灌木だけとなった。


片側一車線の道が延々と続く。ホントに何にもない。

ん? 右手の路肩に何か黒々としたものが…なんだろ。




ウォンバットのスプラッタな轢死体だったorz

いや、動物注意の警告標識がバンバン出てたけど、いきなりこれはきつい…。


しかも、所々にバーストしたタイヤの破片がごろごろ転がっている。ロードトレインのものか、乗用車のものか…。ここの舗装はよく見かけるものよりも砂利の成分が多いような気がする。その分、タイヤへの攻撃性が強いのか。恐ええええ。


Nundrooロードハウスでランチ休憩を取る。ハンバーガー5ドル80は高く感じるが、肉以外の野菜やパインなど具がたっぷりで納得の価格。ここはアボリジナル・ランド(先住民族指定居留地)が近いためか、ネイティブ(註)の方がちょくちょく、買い物に来ている。ここは不毛の大地のオアシスのようなものなんだろうな。

Nundrooを出ると、いよいよナラボー平原の中核部である、ナラボー平原国立公園に突入する。


ここからはいくつかの休憩所を兼ねた「Look Out」ポイントがある。道路を外れ、数百メートル以上も未舗装路を行くポイントもあった。

ボクが最初に止まったLook Outには、この道を切り開いた重機(グレーダー)が置かれていた。

grayder-1.jpg

grayder-2.jpg


自走式ではないから、馬か何かでひいたのか。こんな簡素な機械で、これほどの長大ルートを切り開いた冒険野郎に敬意を抱いた。

そして、目の前に広がる光景は…

n-cliff-2.jpg


断崖絶壁!

ナラボー平原は標高数十メートルの真っ平らな台地。そして、いきなり海と接する。
こんな崖っぷちが何百キロも続くのだ。地球の造形って、すごい。

ここからさらに先に行ったところのLook Outでの写真を紹介すると…



n-cliff-1.jpg



これぞ絶景。

地平線まで連なる崖と水平線の同居。この自然のあまりものスケールの大きさに、ボクは言葉を失った。


それにしても寒い。昨日までは暑さすら感じたのに。

よく考えたら、このコバルトブルーの海は南極海だ!


そりゃ寒いわけだ。うん。

しかし、これだけの海岸線がなぜ、延々と続く崖っぷちのまま残ったのだろう。実に不思議だ。
この崖こそ、ナラボーから人を排除し続け、街の誕生を阻止してきたのかもしれない。


さて、本道に戻る。


緑のじゅうたんを一直線に貫く道路。

地平線の向こうまで曲がることなく、まっすぐ続く。


longstrait-road-1.jpg


これがナラボー平原だ!

ほんのたまに、カーブがあるが、「直線がちょっとしなっている」という表現の方が正しい。

延々と、延々と走る。360度地平線だ。










飽きた(爆)

もう、どれくらい景色が変わらないんだろう。エンジン音と風切り音しかしない。

♪何にもない 何にもない まったく何にもない

思わず口ずさむ。

n-heigen-2.jpg
こんな写真を撮ってみたりもする。



ぼーっと走り続けていると、ふと、左方向の景色の中で動く物があった。。







エミューだ! 緑の中をエミューがてくてく歩いている。


とっさに減速する。

一瞬、あのウォンバットの死体を思い出したのだ。

あのデカブツに突っ込まれたら、こっちがおだぶつだ。

やがて、エミューの顔をはっきり認識できる距離まで接近する。エミューは道路を横断したがっているようだ。

さらに減速する。

すると、エミューは何を思ったか、


バイクと併走し始めた!


こっちの速度は40キロくらいに落ちている。

でも、奴が飛び出したりしてぶつかったら、こっちのバイクは大破だ。

恐えええええええ!


ゆっくり、アクセルをゆるめ、奴をやり過ごそうとする。

すると、それに合わせて奴も減速する!

生きた心地がしなかった。

こうなったら…ブレーキをかけて急減速! すると、ようやく奴はボクを追い越し、道路を横断して、右手の草原に消えた。

一度停車し、心臓のばくばくを抑える。その間にロードトレイン(3両編成)が追い抜いていった。

いつ何時も気を抜いてはならない。自然がそれを教えてくれたような気がする。


しばらく走ると、緑の中にぽつんと立つ、一軒家があった。何でこんなところに…と思ったら…Nullarborロードハウスだった。

時間は夕方。

ここで一泊か、さらに進むか。

迷ったが、12キロ先の、SA/WAボーダービレッジまで行くことにした。州境まで行くと気分がいいかな、なんていう安易な理由で。

そして、南オーストラリア州と西オーストラリア州の州境、ボーダービレッジに到着。ここで泊まることにした。

ここで、スバルレオーネでドライブ中のカジさんと会う。いろいろと情報交換する中で、カジさんの車の調子が悪いと聞き、見てみる。エンジンオイルがカフェオレ色だ。これはまずい。何らかの理由でオイルに水が混じっている。冷却水漏れならお手上げだが、早くエンジンオイル交換をすることを勧めた。

ここのキャラバンパークは固い地面ムキだしだ。ペグが刺さらない。おまけに凸凹で眠りにくい。しかも寒い…。散々な夜だった。

翌朝、カジさんは早々に出発していた。ドラム・ペーパー(タバコ巻紙)と書き置きがバイクに貼ってあった。「パースで会おう」。

さて、ここからは西オーストラリア州時間となる。出発前に時差調整のため、時計を45分巻き戻した。

やっぱ、走っても走っても景色が変わらない(^_^;

対向車がきたのが分かってから、すれ違うのに2分近くかかる。

ひたすら走り続ける。
Maduraロードハウスで昼食をとろうと思ったが、ここにはファストフードがない。やむなく、64キロ先のCocklebiddyロードハウスまで行く。やっと飯にありついた。

さて、この調子で走れば、ナラボーの終点、Norsemanまでいける、と思ったが、甘かった。

連日の500キロ走行で、体力をかなり消耗していた。途中のパーキングで40分ほど仮眠する(バイクにまたがったまま)が、回復はほんのちょっとにしかすぎない。

ナラボー平原最後のロードハウス・
Balladoniaに着く。時差調整のため、時計をさらに45分巻き戻す。時間は午後3時45分。まだ、日もあるので時間的にはNorsemanまで走れる。

だが、体はもうクタクタだ。とても走れない。ここで休もう。あと少し、ナラボー平原と付き合うことにする。

ボクはいつもより早いチェックインの手続きをしようと、ロードハウスのカウンターに向かった。




(以下はグーグルマップ。今回はズームしたり、マウスドラッグしたりしないとわかりにくいかも^_^; 地図中への写真のマッピングは後日、やります)





komelong_01-160.gif

(註)いわゆる「アボリジニ」のことだが、この語源は「ab original」であるため、ボクは違和感を覚えた。よって、当ブログでは先住民族を示す語として「ネイティブ」を使うことにする。
 お気づきとは思いますが…
posted by こめろんぐ at 10:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月10日

1992年12月24日 最高のクリスマスプレゼント

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」
1992年12月14日 いよいよ旅立ちのとき
1992年12月15日 不思議な光景
1992年12月16日 前途多難。(地図追加)
1992年12月19日 相棒の危機
1992年12月23日 アデレードの恋、そして別れ
の続きです。


クリスマスイブの朝にアデレードの宿を後にし、しばらくは国道1号線「Princessハイウェイ」を北上する。
地図で見ると分かるが、この辺りは巨大な入江があり、まっすぐ西へは行けない。市販の地図ではほんの少しの距離に見えるが、丸1日以上かけてこの入江を迂回する。さすがは大陸だ。

アデレードの町を抜け、ひたすら北へ向かう。


それにしても、暑い!

まあ、南半球の12月は夏だ。ただ、アデレードは緯度が高いこともあり、普通の暑さだった。しかし、アデレードを離れ、北に向かうにつれてどんどん強くなる強烈な熱風は何なんだ。これはたまらん。


万が一の転倒時に身を守るため、ここまではジャケットをきちんと着込んでいた。しかし、これは脱がないと熱中症で死にそうだ。でも我慢…。

入江の最も奥にあるポートオーガスタの町に着いたとき、もう我慢できないほど暑かった。ハンバーガー店で飯を食い、この旅で初めて、Tシャツ一丁になった。ここからようやく、西に方向転換する。道路は国道1号線のままだが、名前は「Eyerハイウェイ」と変わった。

風が気持ちいい。100キロオーバーで走行している(注:この辺りは110キロ制限)と、ちょっと肌が痛いかな。

荒野のど真ん中を続くまっすぐな道は、大陸であることを実感する。この風景は、日本にはない。

pinklake-2.jpg
【ちょっとわかりにくい写真だが、通りすがりに見かけた「ピンクレイク」。その正体は塩湖で、この環境でしか住めない赤い色のバクテリアが棲むことから、こんなピンク色にみえる】


しかし、ガソリンの消費量が異常だ。向かい風のせいだろう。町にたどり着く前にガス欠になり、後部に積んだ予備タンクから給油するが、この燃費の悪さはまずい。走りをセーブした方がいいか。

この日は、Iron Knobという小さな町のキャラバンパーク(キャンプ場)に宿を取る。

この日の客はボク1人。テントを張り、飯を炊き、ハーモニカを1人で奏でてメリークリスマス。







途端に土砂降りの雨が降ってきた。






ちょっと待てい! 1人でキャンプ場でハーモニカを吹いて何が悪い! チクショウorz


雨は午後10時ごろやんだ。顔を洗おうと外に出る。





ふっと空を見た。

すごい。

何という星空だ。



南十字星がくっきり輝き、そこから見事な天の川がオリオン座の方向へ流れている。オリオン座の完全体もはっきり分かる。逆さまだけど、初めて見た。

それにしても星の数が半端じゃない。満天の星空って、このことをいうんだ。

ぼーっと見とれていた。そして、荷物をごそごそ探り、ポケット瓶のスコッチをちびりとやる。

うまい。

何もかも最高だ。

最高の時間だ。

この星空を見られただけで、オーストラリアにきた甲斐があった。最高のクリスマスプレゼントをもらった気がする。


翌25日。自然の驚異と遭遇する。

明け方の土砂降り(雷混じり)は、7時にやんだ。晴れ渡った青空だ。今日も向かい風がきついので、速度を85キロほどにセーブする。

roadtrain-1.jpg
オーストラリア名物の「ロードトレイン」。国道を巨大なトレーラーが2両、3両編成で疾走する。3両編成だと全長は100メートルを軽く超える。こいつが100キロくらいで走っているから怖い。鉄道が発達してない西部、中央部のオーストラリアでよく見かける。


roadtrain-2.jpg
ロードハウスで見かけた1両のロードトレイン。給油機の大きさと後ろに積まれたクルーザーから、そのでかさが分かるのではないかと。

こいつとすれ違うと、こけそうになるほどの風圧が来る。もっと怖いのは抜かされるとき。なにせ、こっちが90キロくらいで走っていると、軽くオーバーテイクにかかってくる。真横に並ばれたとき、負圧でバイクがすーっと引き寄せられ、死ぬかと思った(^_^;


荒野の真ん中を走る道にも慣れてきた。この辺りは起伏が激しい。丘をどんどん越えては下り、越えては下りの連続だ。ふと目の前に「Road Hazard」という標識が。

何だろう。

でしばらく走ると下りの道の向こうに大きな水たまりが!

ああ、水たまりができやすい、という標識だったのか…と思い、水たまりは浅いと見切ってそのまま突っ切ることにした。だってここは国道1号線…

途端にものすごい衝撃が!


深いよ、これ!


なんと、ただの水たまりだと思った場所には、水深30センチくらいの川が流れていた!

エアクリーナーが水を吸って、あっという間にエンジンがくすぶる。やばい! アクセスをあおってクラッチをコントロールし、何とか川を渡りきった。

バイクを止め、水がよけいなところに入っていないかチェックする。大丈夫だ。

それにしても、ここは国道1号線だぞ。何で突然川が横切って流れるんだ。

後で聞いた話だが、乾燥地帯でも雨期には川が流れる場所がある。しかし、それは年に数度だけ。そんなことのために橋なんか架けてられないというのだ。つまり、オーストラリアの道路(田舎道)は、時に水没するのが常識と。

それでか。この辺りの車にシュノーケルが標準装備になってるのは。

なんてこったい。


しばらく走ると、道が焦げ茶っぽくなってる。なんだ? ちょっと減速する。



なんと、そこにいたのはバッタの群れ!

それが分かったときには、何匹かを踏みつぶした後。
そして、前方にいた奴らはいきなり行動を開始した。

こっちに向かって集団で飛び出しやがった!

目の前の光景がいきなり暗くなる。




ばちばちばちっっっっ!


バッタがヘルメット、ゴーグル、ジャケット、所構わず衝突する。いててってててっ!

たまらず停車し、やり過ごすが…ボクは全身、バッタの体液まみれになっていたorz

後からチェックしたら、バイクのエアクリーナーの中にもバッタが入っていた。恐るべし、バッタ。


lanclu-track.jpg
【途中のロードハウスで見かけた、渋いランドクルーザー40のトラック。写真には見えない角度にシュノーケルが付いていた。前部のカンガルーバーはこの辺では標準装備だ】


しばらく走って、Cedunaという町のキャラバンパークに泊まることにした。

それにしても行く先々の店やガソリンスタンドが全部休みで、今日は困った。インスタントラーメンをすすって、晩ご飯とする。


明日は朝一番で予備タンクにも給油し、いよいよナラボー平原突入だ!


(下の地図=Google Map=は拡大・縮小やスクロールが自在にできます。遊んでみて下さい。ケータイの方は多分、見えません。ごめんなさい)




komelong_01-160.gif
posted by こめろんぐ at 16:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

1992年12月23日 アデレードの恋、そして別れ

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」
1992年12月14日 いよいよ旅立ちのとき
1992年12月15日 不思議な光景
1992年12月16日 前途多難。(地図追加)
1992年12月19日 相棒の危機
の続きです。


12月21日。バイクも直ったので、クリーブランド動物保護区へ行ってみる。

ここはオーストラリア特有の野生動物と気軽にふれあえるスポットだ。せっかく来たのだから、観光客気取りもよかろうと思い、ミーハーな気分で出かけた。


ade-kangaru-1.jpg
おなじみ、カンガルーくんたち。


ade-kangaru-2.jpg
ちょいと小柄なワラビー君。カンガルーの仲間だ。


ade-koara-3.jpg
コアラ⊂(・▲・)⊃! かわいい。こいつは有料で抱っこできる。


ade-nanika-4.jpg
こいつ、何だったかなぁ…。やたら目つきが悪かった。

目つきが悪いといえば、タスマニアデビル。めちゃくちゃメンチ切ってきた。某ボクサーなんか目じゃない位の眼光だ(^_^;


ade-perikan-5.jpg
ご存じ、ペリカン。山ほどいた。



もう、野生動物でお腹いっぱい(* ̄∇ ̄*)

しかし、こんなところで満喫しなくても、いろんなところで野生動物と出会うことになるとは、このときは知るよしもなかった…。


翌22日、昼間は日用品などの買い出しなどで追われる。いい天気だ。


ade-amesha-6.jpg
渋いアメ車が止まっていたので思わずシャッターを切ってみた。このクルマ、よく見るとわかるが、アメ車なのに右ハンドルだ。オーストラリアでは左ハンドルのクルマは原則禁止。どうしても乗りたければ、後部にでっかく「Caution Left Handle Drive」と表示をしないとならないのだ。下地が黄色ででっかく黒ゴシックで。相当目立つ。日本でもマネすりゃいいのに。

さて、この日の夜、宿主催のBBQパーティーが行われた。宿泊者20人ほどが参加した。

日本の焼肉とはまったく違う。ステーキのような肉の塊を串に刺して焼くのだ。下ごしらえをオーナーのおじさんがやっていた。何か手伝おうかというと、「ライスを頼む」というので、米とぎを始める。

すると、外人さんたちが興味津々でよってきた。まあ、流しでざしっざしっといい音をさせていたからなぁ…。
「何をやっているのか」と聞いてくる。
ボクは「日本ではまず、米はこうやって洗うんだ。日本語では『とぐ』という。こうしないと、おいしいライスにできない」と教える。その後、炊きあがるまでの間、台所は「ご飯炊き講習会」と化したのだった。

さて、飯も炊けた頃、庭では肉がいい感じになっていた。宿のオーナーのおじさんが、みんなに焼けた肉を配ってくれる。肉を皿に盛るときに肉の種類を言っていくのだが…。

「ビーフ」「チキン」…まではよかった。その次の一言に度肝を抜かれた。


オーナー「カンガルー!」


は? なんつった、あんた。


ボク「カンガルー!? Really?」
オーナー「イエス。カンガルー」

まじだよ。カンガルー肉。今日見たばっかりなのに…。それにしても、あるんだなぁ…。と思ったら、次は…

オーナー「クロコダ〜イル( ̄ー+ ̄)ニヤリッ」

工エエェェ(゚Д゚;)ェェエエ工

クロコダイルってワニかよ!さらに…

オーナー「エミューもどうだ!」

ボク「あんびりーばぶる」
オーナー「HAHAHAHAHA!」



驚いたのは、これが全部、うまかったことだ。いやぁ、ビックリ。


で、バーベキューが終わった後、ボクは隣の部屋だった貧乏旅行中のマチさん(仮名)と意気投合し、アデレードの夜景を見ようと宿を出ようとした。
するとオーナーが「夜景ならここが良いぜ( ̄ー+ ̄)ニヤリッ」と夜景ポイントを教えてくれたので、そこを目指して走り始める。タンデムなんて久々だなぁ。

そこは絶景が広がっていた。

「きれいや…」
「きれいね…」

マチさんは関東から来た25歳のフリーターのお姉さん。ワーキングホリデーで働きながら、オーストラリアを旅行している。バイトの話、彼氏の話、学校の話、オーストラリアの話。夜景を見ながら、小一時間も話し込んだ。マチさんは明日、シドニーに旅立つという。

「寒い」というので、ボクはマチさんの肩をそっと抱きしめ、(以下本筋と関係ないので自粛)


翌23日。

マチさんは元気に旅立っていった。旅の後半でまた、会えるかもしれないし。笑顔で見送った。

オイラも明日、旅立ちの予定だ。荷物の絞り込みとバイク整備→予備パーツの買い出しと細かく動いてみる。

アデレードを発てば、ナラボー平原を越え、西オーストラリアの州都・パースまで大きな街はない。パースまで1週間で行ければいいが…。その距離、軽く3000キロ以上。とてつもない距離だ。焦るって。

荷物はある程度整理し、余分なものをパースの郵便局留めで発送する。ちょっとは楽になるだろう。

そして、バイクにちょっとした細工を施し( ̄ー+ ̄)ニヤリッ、準備は終了。


この日の夜もなぜか、宿の庭で宴会になっていた。


なんだかもう、こっちの片言英語でも何となく通じるし、バイク乗りなのはみんな知ってるので、ヤローどもとはバイク話で花が咲く。イギリスから来たデヴィッドは「オレの単車はトライアンフのデイトナさ。You know?」と聞いてくるので、「オフコース。いいバイクだな。おれも乗りたいよ」と応じたりして。

そのうち、茶髪の女の子と飲んでいた。彼女はエリオと名乗った。
エリオには見覚えがあった。この宿でも2部屋しかない、クーラー付きの部屋に泊まっているお嬢さんだ。もちろん、1人部屋である。

エリオ「ホントは違う名前だけど、発音が難しいから、オーストラアリアではエリオで通しているの」
ボク「ふうん。どこから来たの?」
エリオ「イズロウ」
ボク「???ぱあどぅん??」
エリオ「うふふふ。日本語風にいうと『イスラエル』よ」
ボク「なるほど! 日本に来たことあるの?」
エリオ「ええ。留学で。大阪と京都にいたよ」
ボク「そうなんだ。京都はボクのホームタウンだよ」

なんてことで、京都話で花が咲き…。

彼女の部屋で飲み直そうということになり…。


(本筋と関係がないので詳細は略^_^;)


翌12月24日。クリスマスイブの朝。ボクは冷房の効いた部屋で目を覚ました。







そして、バイクに荷物を積み…



ade-cristmas-7.jpg
バイクもクリスマス仕様にしてみた( ̄ー+ ̄)ニヤリッ


オーナーと硬い握手をし、そしてエリオと再会の約束をして…


ボクはパースに向け、アデレードの宿を出発した。


komelong_01-160.gif
 <ちなみに…>
posted by こめろんぐ at 00:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月05日

1992年12月19日 相棒の危機

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」
1992年12月14日 いよいよ旅立ちのとき
1992年12月15日 不思議な光景
1992年12月16日 前途多難。(地図追加)
の続きです。


12月18日。数日ぶりにベッドで目を覚ます。今日は天気もいい。

昨日は雨の中、アデレード市街に入り、ツーリストインフォメーションで宿を紹介してもらって、このバックパッカーズにやってきた。オーナーがバイク乗りで、片言でも結構、話せる。っていうか、趣味が共通だと、言葉を超えた交流ができるような気がする。

オーナーに断って、テントを干した。きっちり干して、防水スプレーを吹いておかないと、あとで地獄を見そうだ。

それにしても心配なのは、バイクのオイル漏れだ。漏れ方がいよいよ半端ではない。オイル上がりだけでは説明がつかないほど、減り方がひどい。既に、予備で積んでいた1リットル缶の8割方を消費している。これ、2ストじゃないんだけどなぁ…。

まずは、エンジンアンダーガードを外し、漏れの箇所をチェック…しようと思ったら、えらいことになっていた。

アンダーガードとエンジンの隙間が、オイルと埃が混ざったのでびっちりうまっていた。コレはひどい。

ガソリンをひたした雑巾で丁寧に清掃する。明らかにエンジンオイルはエンジンの割れ目から出ていた。じゃじゃ漏れだ。よくここまで持ったもんだ…。

これはもう、オイラの手に負えない。バイク屋に任せるしかないか…。電話帳でヤマハのバイクを扱ってそうな店を探し、行ってみた。

ひげ面のバイク屋の親父はぶっきらぼうに言う。「明日朝、8時半に来な。直ると思うよ」
オイラは「ありがと。ところで、こいつは保証期間内だが、保証修理がきくか?」と聞くと、親父は「心配ないよ」という。ここでにやりと笑ってくれたらいいのに、全然愛想がない。ま、この手のメカニックのおっさんとは、北海道でも付き合ってたが、愛想のない人ほど腕は確かだ。

バイクが直るまで無理はしたくない。

ので、徒歩で散歩に出てみる。

adelade-3-tram.jpg
【写真説明】アデレードの路面電車「トラム」。色合いも形も渋い。市民の日常の足だ。


で、連結されているのは電車だけでなく…


adelade-2-rensetubas.jpg
【写真説明】こんな連接バスが普通に走っていた…。こりゃ、たまげた。道路事情が日本と違いすぎ。

ちなみに、トラムは2時間乗り放題で2ドル20セント。こういう課金方法は初めてだ。


adelade-1-machikado.jpg
【写真説明】アデレードの街角。撮ってる車が渋い。渋すぎる(爆)


アデレードの中華街はワンダーランドだった。
日本でもおなじみの食べ物がほぼ、何でもある。
インスタントラーメンの「出前一丁」はもとより、「サッポロ一番」「中華三昧」もある。
S&Bゴールデンディナーカレー、リケンのわかめスープ、すき焼きのたれ、永谷園のあさげ、お茶漬けのもと。
しょうゆ、みりん、豆腐作りキット(爆)。日本酒以外は何でもそろいそうだ。もっとも、価格がべらぼうに高いが。

そうそう、米はインディカ(長粒種)ばかりかと思ったら、ジャポニカ(短粒種)も売っている。1キロ1ドルくらいだ。安い。で、高いのはカリフォルニア米。なんと、ササニシキをカリフォルニアで作ったといわれる「錦」というのがあった。こちらはメチャクチャ高かった。

この日は2ドルで買ったステーキ肉で舌鼓。

この宿はキッチンが共同で、いろんな人とキッチンを囲む。

米を炊く際、こっちの人は研がないようなので、「コレがうまい米の炊き方だ」とみんなに指導する。炊きあがった米を食った女の子が「ワンダフル」と叫んだ。ふふふ。日本人は米にうるさいのよ。


翌朝(12月19日)、早起きして洗濯し、バイク屋に行く。

例のぶっきらぼうなメカニックが「2時に戻ってこい。それまでにやっとく」という。頼んだぜ。おっさん。

直るまでの間、ちょっと前に考えたプランを実行するため、別のバイク屋へ。(修理屋にはメカメカしいモノしか置いてなかった。
バッグ類が豊富にそろっているその店で、見つけたモノはタンクバッグ。シートの前にあるガソリンタンクに、磁石でくっつくバッグだ。
荷物が後ろに寄りすぎているので、金属のカタマリである工具類を中心に、タンクバッグに移して、リアへの過重軽減をするのが狙いだ。今でも半端なくリアサスが沈んでいるので、さらにリアサスもバネをきつくしてみるつもりだが。また、ハンドルバーに巻くバーパッドはどうしてもほしかった。ここでちょうど良いシロモノを入手した。これで万が一の事故の際も肋骨を折らずに済む。

さらにケミカル類も仕込んでおく。ついでに、安く売っていた短パンもゲット。アデレードに来て急に気温が上がり、Gパンでは耐えられなくなってきたので、ちょうどよかった。

adelade-4-rochubike.jpg
【写真説明】オーストラリアのバイクの止め方。こうしないと駐車違反の切符を切られる。マジで。このバイクのように、シートにムートンを張っているライダーが結構多い。長距離を乗っても尻が痛くならないらしい。


フィッシュ&チップスの昼飯を済ませ、もとのバイク屋に行く。

ぶっきらぼうなメカが迎えてくれた。「全部OKだ」。
結局、オイル漏れが深刻だったのは1カ所だけで、そこはガスケットが死んでいたらしい。もう一カ所、オイルのにじみがあるが、コレについては「心配ないよ。大丈夫」と太鼓判だ。

よかった。無事に直ってくれて。すでに1600キロ近くをともにした、かけがえのないオイラの相棒だ。そう簡単には失いたくなかった。修理も「保証修理」扱いで、只で済んだ。ε-(´▽`) ホッ


とりあえず、宿に戻って一休み…。暑い。暑すぎる。バックパッカーズホステルの安部屋にはクーラーなどというモノはない。クーラー付きの部屋は高いのだ。

暑い中ではあったが、リアサスの調整をすべく、バイクをばらす。

サスのバネはまだ、締め上げられた、空荷の時はリアがぽんぽんはねるけど、積めばちょうどいいだろう。

宿のオーナーも「おっ頑張ってるな」と声をかけてくる。このオーナー、カワサキの900Z1、ヤマハのXT600テネレ、スズキのGSX1100Sカタナに乗っている、とんでもない親父だ。「すげえな」というと「なあに、ちょっとクレージーなのさ」と照れていた。いいおっさんだ。


明日は観光に出かけるかな。なんてのんきなことを考えつつ、この日は寝た。

ピンチをクリアしてしまうとのんきなモノだ。明日は何か、いいことがありそうな気がする。




そして、本当にいいことがあった(爆)。

<続く>


komelong_01-160.gif
posted by こめろんぐ at 12:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月13日

1992年12月16日 前途多難。(地図追加)

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」
1992年12月14日 いよいよ旅立ちのとき
1992年12月15日 不思議な光景
の続きです。



12月16日。昨夜からの雨はやまないまま、夜が明けた。さて、どうしようかと思っていると、7時半にやむ。
よし、今のうちだ。撤収作業を開始するが、また降ったりやんだり。テントを軽く吹きながらたたみ、朝食をとるともう、9時半だった。こりゃ、今日は距離を稼げないなぁ。


ひとまず、ニューサウスウェールズ州とヴィクトリア州の州境の街、Milduraを目指し、走ることにする。

朝の雨はどこへやら、からっと晴れ、道は一直線に伸びるようになる。地平線の向こうまでずっとまっすぐだ。

これは気持ちいい!


と思ったら、雨がぽつりぽつりと…。しかし、まっすぐ前の空は明るい。アクセル全開で雲をぶっちぎれ!



あれ。右カーブ。

カーブの先には分厚い雲。

雨粒はどんどん大きくなり、オイラの肌を容赦なくたたく。もうすぐ次の街だ。ロードハウス(ガソリンスタンドにコンビニ、軽食店が同居したもの)でガスチャージし、ついでにハンバーガーでボクのおなかもチャージ。レインスーツを着込んで午後0時すぎに再出発した。

雨は激しく降る。2時間走って州境の街・Milduraにつく。時間はまだある。ここで止まるか、さらに進むか。


ちょっと悩み、先に進むことを選ぶ。

州境を越え、ヴィクトリア州に突入! その途端に雨がやんだ。湿りっ気どころか、砂ぼこりが立つほどのからから天気。どうなっているんだ。おまけに絶好の追い風。これは楽だ!

しかし、州境を越えると風景が一変した。

ニューサウスウェールズ州では林あり、湿地帯あり、牧場ありという風景だったのに、ヴィクトリア州に入ると、林は消え、何にもない牧草地がだーっと広がるばかり。木も灌木ばかりで、雑草の丈も低い。


それにしても、道は気持ちいい、ド直線だ。

VIC-bokujou1chokusen-1.jpg


VIC-bokujou1chokusen-2.jpg



直線道路が終わる頃、つかの間のヴィクトリア州は終わり。あっという間にサウスオーストラリア州に入る。



しばらくすると、でっかいダンロップブリッジが現れた。


ここはサーキットか? 何だあれ!



ダンロップブリッジの下は検問所になっていた。制服を着た恰幅のいいおっさんが話しかけてくる。

「Do you have a fruit? tomato? apple?…」

どうやら、検疫所らしい。っていうか、国の中で検疫するんだ。スケールがでかいなぁ。もちろん、オイラはそういう果物類は持ってなかったので「No」で終わり。


再び、直線道路を走り始める。

道の横にバイクの絵の看板がある、と思ったら、本物のバイクだった(^_^; 地平線に向かって直線を走っていいると、風景が変わらない。周りの光景は静止画像に見えてくる。こんなこともあるんだ。

一台、自転車を抜いた。がんばるなぁ。


そして夕方、5時半。Renmarkの街に入った。キャラバンパークにチェックインする前に買い物を済ませる。スーパーで肉が安かったので、ステーキ肉を買う。

ここのキャラバンパークは、蚊が多い。蚊と格闘しながら肉を焼き、ほおばる。うまい。


翌12月17日。またしても朝から雨。テントをたたみたくてもたためない。

躊躇していると、昨日夕方に抜いた自転車がやってきた。日本人だった。
彼は1ヶ月前にケアンズを出発し、毎日走り続けているという。お互い、がんばりましょうとエールを交換し、出発。

どこまで走っても、雨雨雨。

おまけに、エンジンからのオイル漏れもひどくなってきた。

こういう時の雨はホント、きつい。何も考えられないし、景色を楽しむ余裕もない。

昼はロードハウスでフィッシュアンドチップス。あまりおいしくない(^_^;

午後もひたすら、雨の中を走り続ける。


そして、夕方。


目の前に都会の光景が広がる。

サウスオーストラリア州の州都・アデレードだ!


<続く>


(地図は後日付けます^_^; 結構めんどくさいんですよ。これ。昨日のエントリの地図をスライドしていくと、今日の地名が出てきますから、参考にしてみてください)


<14日夜追記>
地図貼ってみました! 例によってズームイン、ズームアウト、スライドが自由にできます。またランドマークをたたくと、写真が飛び出す仕組みです。(前からですよ^_^;) ケータイでは見えません。ごめんなさいm(_ _;)m ぺこん
グーグルマップのリンクはこちら




komelong_01-160.gif
posted by こめろんぐ at 12:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

1992年12月15日 不思議な光景

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」
1992年12月14日 いよいよ旅立ちのとき
の続きです。



12月14日。出発後、シドニーの街を走る。信号が多い割には、みんなスピードを出すので、付いていくこちらは大変だ。
幸い、日本と同じ左側通行なので、右左折の祭、違和感はない。それが救いだ。

国道31号線を目指していたが、なぜだか道を間違え(^_^; たった3本しかないペイロードに乗ってしまった。
料金所は自動課金式で、お金を入れるところにでっかいじょうごが付いている。これはお金を入れやすいや。料金は1ドル50セントか。2ドルコインを入れた。


あれ? おつりが出ない…。


だったらそう書いておいてほしかったil||li _| ̄|○ il||li あ、そのときのボクには読めなかったと思うけど。

料金所を出て最初のインターチェンジで降り、パラマタまで引き返して、ようやく国道31号「Humeハイウェイ」に入る。(ちなみにオーストラリアの「ハイウェイ」は有料の高速道路ではなく、無料の長距離一般道を指す。有料の高速道路は「フリーウェイ」)

いつの間にかシドニーの街中を抜け、郊外へ。道路は片側1車線ながら、のんびりと走れた。ただし、向かい風がすごい。全然スピードが出ず、このままだと、大した距離を走れない。参った。燃費も悪い。150キロほど走ったところで最初の給油をする。
まだ、予備タンクは空なのに、リッター20ほどしか走らない。(ちなみにこのバイクのガソリンタンクは9リットル)

余談だが、オーストラリアのスタンドはすべてセルフ式。ガソリンスタンドでのバイト経験が役に立った。(当時の日本にはセルフ式はなかった)

向かい風はどこまで行っても止まない。時間はまだ、3時半だが、この日はGoulburnという小さな街で走行を止めることにした。走行距離はたった220キロだが、向かい風のため、倍も疲れた…。

この町にたった一つあるキャラバンパーク(オートキャンプ場)にチェックインし、この旅で初めてのテント泊。

hajimenotent-1.jpg
【写真説明】まだ、テントがきれいだなぁ。この旅で使ったのはダンロップの二人用テント。
ちなみに、この日のテント設営は15分かかったが、最終的には3分で張れ、5分で撤収できるようになった。慣れって恐ろしい(^_^;

さっそくお湯を沸かし、コーヒーを入れて一息。この瞬間が、たまらない。


翌12月15日。朝露が付いたテントを拭いてたたみ、午前8時半に出発。

とにかく、片側一車線の道がどこまでも続く。今日は向かい風もない。楽にスピードが出せる。アクセルは半分で固定し、燃費を稼いでみる。

道路の両脇はひたすら牧場ばっかり。マジでなんにもない。対向車も少ない。
ギャートルズのエンディングテーマを思わず歌っていた。でもすぐ飽きた。


たまに休憩所(単なる広場のようなもの)でバイクを止めると、そこには静寂が訪れる。時折、車やトラックの音がするだけ。あ、あと、うるさいハエのぶんぶんいう音。ハエがいなきゃ、いい気分なのに。


今走っている国道31号「Humeハイウェイ」は、まっすぐ行けばメルボルンにたどり着く。オイラの当座の目標であるアデレードへ向かう国道との分岐は突然、現れた。まっすぐ行けばメルボルン。右に行く道がアデレードに向かう国道20号「Sturtハイウェイ」。危うくまっすぐ行ってしまうところだった。やばやば。


やがて、初めて見る光景に出くわした。




思わず道ばたでバイクを止めた。

NSW-tachigare-3.jpg









NSW-tachigare-1.jpg



NSW-tachigare-2.jpg


湖(沼?)の中で、大木が立ち枯れていた。どうしてこんなことになったのか。

近くの朽ち果てた大木の根元で、小さな紫色の花が咲き乱れていた。

生と死。大と小。色彩とモノクローム。そんなものがない交ぜになった光景。こんな世界もあるんだ。
しばし見とれていた。





NSW-XT250-1.jpg



この日は午後6時半まで粘って走った。560キロというロングランを終え、Heyという街のキャラバンパークにチェックイン。


それにしても、エンジンオイルの減りがひどい。漏れもあるようだ。アデレードでバイク屋に見てもらう必要がありそうだ。

テントを張り、街に買い物に出る。







5時45分で店じまいだって…。そんなに早いのか。参った。今後気をつけよう。

まあ、それなりに食い物があるから、今日はいいけどね。


あ、雨が降り出した。今日は飯炊きを止め、リンゴをかじって早く寝る。

<続く>





スクロール地図を貼ってみました。拡大、縮小もできます。経路はあまりきれいにトレースしてませんのでご了承ください。また、14年以上前と道路状況が変わっており(高速道路も増えた)、当時と同じ道路をトレースできているかどうか微妙ですが(^_^;
ケータイの皆さんごめんなさい。多分見えません<m(__)m>



komelong_01-160.gif
posted by こめろんぐ at 12:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月18日

「豪州単車紀行」地図を作ってみた<地図表示テスト>

昨日、久々に書いた「単車紀行」で、いよいよ若かりし、オイラは長い旅に出発したわけですが、某巨匠より「地図ぷりーず!」とのリクエストがあったので、なんか良い手はないかと思い、真っ先に思いついたGoogle MAPで作ってみました。



題して豪州単車紀行 1992-1993



いくつかポイントしたマークをクリックすると、当ブログで紹介した写真がポップアップされるようにしました。

旅が進むにつれ、地図に経路を書いていくようにします。今はほんのちょっとだけ(^_^;

今のところ、シドニーの街中にチョロッとポイントを置いているだけですが、次回からは走ったルートや写真をちりばめつつ、ブログとほぼ同じように更新していきたいなと思っています。


<試しに地図APIを使って貼ってみるテスト>



それにしても、便利なものですね。個人の力で何となく、こんな世界地図を使えてしまうなんて…。

ブログ上にこれを貼るのは結構難しいですね(^_^; なので、当面はリンクのみの運用で行きます。気が向いたら、上のように貼ってみます。

地図上にこんなものを出してほしい、などのリクエストがあれば、随時コメント欄にてどうぞ!


<追記>なぜかオイラのFirefoxでは見えないil||li _| ̄|○ il||li IEでは見られるのに…。

<さらに追記>見られるようになった(^^)v スクリプトをちょっといじってみただけ。
これで丸一日消化って、どんだけ難しいんだ(^_^;

komelong_01-160.gif
posted by こめろんぐ at 23:27 | Comment(4) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月17日

1992年12月14日 いよいよ旅立ちのとき

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」
の続きです。


思わぬ形で、なかなかいい相棒と巡り会えた予感がしたその夜、事件が起きたらしい。

朝、パンにハムと目玉焼きをはさんで食おうと用意していると、窓の下にパトカーがやってきた。

なんだろなと思ったら、この宿にドロボーが入ったらしい。


よく話を聞くと、この宿には3、4日に一度、ドロボーが入るらしい


工エエェェ(゚Д゚;)ェェエエ工

なんか、とってもヤクザな宿に泊まってしまってるんじゃ…。でも、この宿って入り口もカギがあって、宿泊者ですらそのカギがないと入れないんだけど…。その謎は、この日の昼に判明した。


kingscross-machikjado.jpg
【写真】雨のキングスクロス。この日は雨が降ったりやんだりと鬱陶しい天気だった。信号の「DON'T WALK」をみて、「じゃあ、走ればいいんだ」と思ったあなたはひねくれ者(爆)


午前中は本屋に行き、全オーストラリアを網羅したロードマップを入手。宿に帰ると…

ロビーにXT250のSさんがいた。

ボク 「あれ、もういらしてたんですか。誰かに入れてもらいました?」
S 「いや、ここの玄関って





   マイナスドライバーで開くから」

ボク 「…ハイ?」
S 「玄関の鍵穴ってマイナスドライバーでぐるっと回るんだよ」
ボク 「それじゃ、施錠の意味無し…」

そりゃ、ドロボーも入るわ。
この日から、パスポートと国際免許証、帰りの航空券、トラベラーズチェックは肌身離さぬよう、専用のウエストベルトに入れて身につけてるようにした。

カメラも常に持ち歩くなど自衛策をとることに。

さて、バイクに試乗する。なかなかいい。サスもへばってないし、エンジンの吹けもいい。ちょっとオイル漏れがある程度だが、これは走行距離相応だ。

今までの中古車バイク屋での程度の悪さを考えると、これはいいかもしれん。保険も期間が残っているし書類もそろっている。問題はない。リアキャリアもごっついの*が付いている。

相棒はこいつに決めた。Sさんの言い値は2200だったが、オイル漏れを指摘し、2000ドルにまけてもらった。これで予算通り!

Sさんに明日、代金を支払うことを伝える。

午後、時折小雨が混じる中、シドニー中央郵便局に荷物を取りに行く。

日本からあらかじめ、SAL便*で「局留め」で送って置いた荷物だ。

ヘルメット、ブーツ、ウェア、レインスーツの類から、整備用工具一式、キャンプ用品、予備ガソリンタンク、手製の簡易スタンドなど、旅に必要なもの一式である。さすがに徒歩で一人で持ち歩くのはつらい(バイクに積んでしまえばなんということはない)ところだったが、チャリダー・マサさんが「試走がてら積んであげるよ」と荷物の一部を引き受けてくれた。チャリとバイクではやはり、荷物の搭載量、搭載方法が違うな。思わず感心する。

さて、宿に到着し、荷物を点検する。オーケー。すべてそろった。あとは、予備パーツの調達と、ガソリンタンク用キャリアを入手せねば。これは明日やろう。

この夜は、マサさんの出発前夜。ささやかな宴で励ました。そして、ロードマップをみながら、大まかなルート検討、スケジュール計算に入る。

翌朝、マサさんが旅立った。6カ月のチャリンコ一人旅。うまくいけば、ボクとエアーズロックで会える予定だ。「真ん中で会おう」。がっちり握手を交わした。頑張れよ。


kangaru-ber.jpg
【写真】シドニーの街中に止まっていた、カンガルーバンパー付きのセダン。街中を出て郊外を走る車にはもれなく、こいつが付いている。夜になるとカンガルーがマジで飛び出す。日本のように飾りではない、ホンモノだ。ちなみに都市間バスのグレイハウンドや長距離トラックも標準装備。


午前。トラベラーズチェックを現金に換え、Sさんに支払う。Sさんはバイクの他、荷物搭載用タイダウンベルトも付けてくれた。これはありがたく、使わせてもらおう。

そして、バイクに乗って、タイヤ屋、ジャンク屋、バイク屋を回る。いずれも徒歩で下見済みだ。タイヤ屋でフロント、リア両タイヤとハードチューブをゲット。特にフロントはメッツラーの超ヘビーデューティーなタイプだ。これのおかげで何度命拾いすることになるか…。リアはブリヂストンの「ハードタイプ」しかなかった。このため、のちのちに苦労する羽目に(^_^;
ジャンク屋では小型キャリアを2個入手。これは予備ガソリンタンク搭載用サイドキャリアにする。バイク屋で、ブレーキシュー、プラグ、ブレーキレバー、クラッチレバー、オイルフィルター、燃料フィルター、エアクリーナーなど、予備パーツ一式をゲット。

宿に戻ってサイドキャリアの取り付けを行うも、ボルトの長さが足りず、明日にホームセンターに走ってみることにする。

翌朝、BBCという巨大なホームセンターで、長いボルトとごっついワイヤーロックを入手。バイクの盗難も多いらしいので、用心に越したことはない。また、ケミカル類や荷物搭載用のゴムひもも入手した。

そして、キャリアの取り付け、タイヤ交換、ワイヤー類への注油、ブレーキ、エンジンオイルなどの点検。マシンは絶好調の状態だ。タイヤ交換の際、日本でこさえてきた簡易スタンドが大いに役立つ。作業をしていると、子どもが寄ってきた。なんと、片言の日本語をしゃべるではないか。聞けば、選択科目で「日本語」があるという。それで、覚えた日本語を使いたくて声をかけたらしい。おもしろい子だ。


バイクの準備も整った。荷物搭載テストもした*。当面のルートも決定する。シドニーからまず、内陸の道を突っ走り、アデレードを目指す。アデレードまで3日で着けるはず。その後は、ナラボー平原を突っ切り、パースへ行こう。


外は雨。でも明日は晴れるはず。



明けて12月14日午前、シドニー・キングスクロス。

shuppatu.jpg
【写真】出発直前。まだ、肌が白いボク(爆) 予備タンクもぴかぴかだ。荷物も余計なものが多い(^_^; 荷物最後部のスカイブルーのL字型のものが、キャリアフレームにもなる簡易スタンド。


心臓が高鳴る。いよいよだ。さあ、気合い入れていこう!

ボクはついにオーストラリア1周の旅に出発した。


<続く>

komelong_01-160.gif


<補足>

●オーストラリアのバイクにはたいてい、「ギアザック」というバッグ取り付け用のでかいリアキャリアが付いている。このリアキャリア、鳥居のようなフレームがあるのが特徴。これが荷物を普通に積むのに便利。

●このとき、オイラはとんでもない無駄な荷物を抱えていた。ただでさえ、カメラ機材と工具類でオーバースペックなのに、Gパンとかスニーカーとか寒かったのでトレーナーとか…。軟弱ものだったといえる(爆)

●SAL便というのは、貨物室の空きがあるときに積んでもらえる航空貨物。航空便より安く、船便より高いが、船便より早く着く。郵便局留めで送る、という手法はオーストラリアでも有効だった。
posted by こめろんぐ at 12:00 | Comment(9) | TrackBack(2) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月31日

1992年12月8日 相棒の名は「ランボー」

このエントリは
1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−
1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス
1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)
の続きです。



月曜日。雨だったが、ANZ銀行でようやく、キャッシュカードをゲット。暗証番号を登録し、旅の資金の3分の1を手にする。これがなくっちゃ、この旅は始まらない。

1992-sydney-2.jpg
【写真】オーストラリアの電話ボックスはオレンジ。中の電話ではクレジットカードが使用可能だった。当時の日本ではテレカだけだったからすごい!と感(┳∧┳)動。


火曜日。ここシドニーには、日本人が働くバイク屋が何軒かある。まずは、これらを回ることが、この旅での相棒探しの第一歩だ。

南半球の12月は初夏である。じりじりと太陽が照りつける中、あえて地下鉄に乗らず、地図を片手に街を歩く。

何か物足りないと思ったら、セミの声が聞こえない。オーストラリアのセミは、もっと暑くならないと出てこないらしい。

1992-sydney-1.jpg
【写真】きれいな公園だ。緑がたっぷりとられてて、気持ちいい。

1件目に入った店は、日本人スタッフがいるわけではないが、中古バイクを多く在庫していた。ひとまず、お目当ては「スズキ DR650*」と決めていた。オフロードで大排気量ながら、単気筒なのでエンジンやキャブの整備がしやすい。おまけにこれまでスズキ車ばかり乗ってきているので、乗車感覚は同じだろう、と踏んでいた。他の大排気量オフロード車は2気筒が多く、整備性でやや、難であった。

予算が2000ドルのオイラにとって、新車は無理。DR650の中古を探すが、どれも4000ドル超で(もちろん、年式も新しい)ここではお目当てはない。ただ、聞き込みで、「旧型のヤマハXT600テネレなら、3000ドルくらいで見つかるかも」ということはわかった。XT600テネレはヤマハの旧型の単気筒オフローダーだ。ヤマハはすでにテネレを660cc化し、2気筒の「スーパーテネレ」も出していた。「600テネレ」は旧型だ。なるほど、旧型テネレも候補に入れるか。そう決め、店をあとにする。


次に向かったのは日本人スタッフのいる店。ここではバイクを探すと同時に、「予備パーツの調達」のしやすさを調べたかった。何せ、旅程は2万キロ近くに及ぶ。タイヤだけでなく、ブレーキパッド(シュー)やアクセル・クラッチなどに使うワイヤー類、その他消耗品を、旅のはじめに確保しておきたいのだ。

そこは、ヤマハのパーツに強い店だった。他のメーカーのパーツもある程度、そろえているという。

「もし、仮にスズキのバイクのブレーキパッドがほしくて、取り寄せになったら、どれくらいかかりますか」と聞くと、そのスタッフは「うーん、そうだね。1カ月はみた方がいいかも」。えええ!何でそんなに?と思ったら「ここでは日本車は外車だからね。部品なんかみんな、船便さ。日本で外車の部品を取り寄せたら、同じくらいかかるさ」。

そっかー。ここでは日本車は「外車」かぁ…。その感覚、肝に銘じておこう。

その店に偶然だが、先ほどの店で進められた旧型XT600テネレ*(中古)の在庫があった。

3200ドル。予算外だ。

しかし、心が揺れる。

旧型とはいえ、きちんと整備されている。走行距離は45000キロ。エンジンもスムーズに回るし、足回りもオーバーホール済みだ。しかも、燃料タンクが純正よりもさらに大きなビッグタンクに換装されていた。「こいつは上玉だ」と判断できる。単気筒なので整備性もいい。というより、こいつのエンジンのスケールダウン版が載っている友人の「SRX400」をいじった経験があるので、エンジン、キャブ周りの整備は自信がある。

どうせ、帰国時には売ってしまうから、ある程度のリセールバリューがあるのなら、元値がいくらでも同じようなものだ。とはいえ、1000ドル以上の差。厳しい。

悩んだ。「むしろ、350ccくらいのほうが、パワーと重量のバランスが取れててのりやすいよ。アウトバックならなおさらだ」、とアドバイスを受けた。なるほど。

「また来ます」と声をかけ、店を出た。

外は相変わらずまぶしい日差しだ。空が高い。

1992-sydney-3.jpg
【写真】当たり前のようにきれいに整備された公園の芝。あちこちにスプリンクラーの穴が空いていた。


次の店では、思ったより中古部品が充実していた。特に中古キャリアの在庫は凄い。予備のガソリンタンクを積むキャリアがほしかったので、これはいい店を見つけた。ただし、バイクはどれも高い。ホンダのアフリカツインやドミネーター、ヤマハのスーパーテネレ*…どれも4000ドル超だ。ホンダのXL250Sが2200ドルだったが車検なし、保険なし、タイヤのブロックなし。かなり程度も悪い。こりゃ、しんどいな。

前の店で見た旧テネレがますます、よさげに見える。アレなら、予備タンクを持ち歩かなくてもよくなる。日本から送ったタンクは送り返せばいい。結構楽だぞ…。ただ、お金が厳しくなるけどね…。


そろそろ日が暮れてきた。宿に戻ろう。今日は同室のヤスさん(第2回「ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス」参照)の誕生日だ。オージービーフのステーキでお祝いすることになっていた。一度宿に戻った。


宿にはユースホステルの中にあるような掲示板がある。そこに新しいメモ書きが貼られていた。


「4 SALE  YAMAHA XT250* Rambo」

オーストラリアでたまに見かける「売ります」だ。「For」と書くところを「4」と書くところが豪州らしさだ。

ほほー。XT250か。Ramboとあるのは、おそらく映画「ランボー」でスタローンが乗り回していた、あのタイプに違いない。珍しいなぁ*。 っていうか、これを書いたの日本人だな。直感だが、あのバイクを「ランボー」と呼ぶセンスは日本人だろう。
メモには「走行8000キロ、保険アリ、2200ドル」とある。ふうむ。値段はまあまあ。ただ、豪州の砂漠を走破するにはやや、役不足か。

そう。今回の旅の最大のハイライトは、砂漠横断なのだ。生半可なバイク、生半可な腕は即「死」を意味する。

これまで、レースでモトクロスの腕を磨いたり、趣味でバイクの整備をしてたのは伊達や酔狂ではない。この数年間、この夢のための修行だと思って、遊び以上に真剣に取り組んできた。

さて、XT250か…ふうむ。役不足かもしれないが、でも、ちょっと気になるなぁ…。


部屋に戻り、ヤスさんとマサさんと買い出しに出る。近くのスーパーの肉売り場を見て驚いた。牛肉が異常に安いのだ。100グラム1ドルしない。日本の豚肉並み、いや、それ以下だ。しかも、パックに入った肉はいろんなサイズがあった。その中にとんでもないものを発見した。

Tボーンステーキだ!

T字型の骨に、片方がサーロイン、もう片方がフィレ肉が付いているというとんでもないステーキ肉。マジか。こんなスーパーで、テレビや漫画でしか見たことがない、幻のTボーンステーキの生肉が売ってるのか。信じられねぇ。だが、パーティーには最高だ!3人分、お買い上げとなった。


宿の部屋のコンロで焼き、ビールで乾杯! うまかった。ステーキだけで腹を満たすなんて、なんて贅沢なんだ。


その後、ロビーでビールを飲みながらくだらない話をしていた。マサさんはあさって、出発するという。チャリンコを分解して、船便で送っていたのが今朝、到着し、今日は宿でずっとチャリンコの整備をしていたマサさん。これは派手に見送らねば。
てか、ボクは未だに相棒が決まっていないのだが。


そこへ、同い年くらいの日本人がやってきた。

兄さん「キミか? バイクを探してるのって」

おー。この宿の人には会う人ごとに「探してる」という話をしてたので、わかったのだろう。

ボク  「ハイ」
兄さん「ワシのバイク、買わへんか?」
ボク  「車種は何です?」
兄さん「ランボーXTや」


あの、張り紙の人だ!なんという偶然。

彼はちょうどバイクでの旅を終え、帰国する前だという。バイクは新車で購入し、軽いダートは走ったが、アウトバック*は走っていない。エンジンオイルの管理はしっかりしていた。何なら見てみてくれ。とのこと。


ちょうど、外にバイクを止めているという。見てみた。

なかなかキレイだ。キックレバーをける。エンジンは一発でかかった。フケはスムーズだ。足回りのへたりも少ない。

見た目は…暗いので何とも言えないが、少なくともあの店で見た旧テネレよりはきれいだ。ほとんどダートを走っていない、という言葉はうなずける。

ボクは「ちょっと考えさせてほしい。今は少し酔っているので」と答えた。

これが、「相棒」との出会いだった。


<続く>


komelong_01-160.gif


<補足>
●くどいようだが、当時の1オーストラリアドル=約80円

●スズキDR650 スズキの大型オフロードバイク。650ccの空冷単気筒ながら、車体は250ccのオフローダー並の大きさに収まっている。これがさらに大型化した「DR800S」は、その形状から「怪鳥」と呼ばれる。

●ホンダ・アフリカツインは750cc水冷V型二気筒エンジンを搭載したビッグオフローダー。パリダカにも多数出場している。ドミネーターはXR600のエンジンをボアアップした650cc空冷単気筒エンジン搭載のツアラー。型式名NX650。

●ヤマハXT600テネレ 600cc空冷単気筒エンジン搭載。このころは660ccにスケールアップされた新型にスイッチしており、600は旧型になっていた。また、ヘッドライトをボディーカウルに固定化した「XTZ」もある。「スーパーテネレ」は正式には「XTZ750スーパーテネレ」。750cc水冷並列二気筒エンジン搭載。「テネレ」の名の由来はサハラ砂漠の中でももっとも過酷とされる「テネレ砂漠」。もちろん、このバイクもパリダカに出場している。

●XT250 ヤマハの250ccのオフローダー(4スト空冷単気筒エンジン)。当時の日本はカリカリの2ストモトクロスレプリカが全盛で、XTのような4ストダートトラッカーは見向きもされず、廃盤になっていた。その後、ダートトラッカーが再び人気を博し、国内でも復活している。

●アウトバック オーストラリアの「不毛の大地」を差す言葉。
posted by こめろんぐ at 12:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月18日

1992年12月4日 運命の出会いは…(写真を追加)

シドニー・シティーレールのキングスクロス駅はえらく深い地下駅だった。改札口の前の自販機で切符を買い、西方面に向かう列車に乗る。改札口は自動なのかと思ったら、切符投入口がすぐに分からない。そのまま通ってOKだった。(今はどうか分からないが)

電車は2階建ての立派なもの。上の階だと景色も良さそうだ。電車は3駅目の「タウンホール」を出ると地上に出、4駅目の「セントラル」駅で乗り換えた。

セントラル駅はシティーレール全路線が接続している、巨大なターミナルだ。パラマタに行く路線はどれだ。ボクらはしばしうろうろ。

central-home.jpg
シドニー・セントラル駅。近郊列車と長距離列車が乗り入れている。


cityrail-1.jpg
これが、キングスクロスから乗ってきた電車。わかりにくいが新しい、オール二階建ての電車。


cityrail-2.jpg
目的の列車に乗った。若干くたびれた車両だが、2階建て電車だ。シドニーは昔から全列車が2階建てなのかな。ちょっとすごい。

2階席は満席だったので、1階席に座った。2階と違い、1階はガラが悪かった(苦笑)ちょっと怖いなぁ、と思いながら乗ること30分以上。パラマタに到着した。


ここは中古車販売会社がずらっと並ぶ、「中古車モール」さながらのところだ。バイクの展示も多い。ここでは中古バイクの「相場」を見たかったが、オフロードバイクがほとんどなかった。残念。ここでは運命の出会いはないようだ。

で、バイクのパーツ事情を見ようと、パーツ屋さんに入る。ここはさしずめ、豪州の「南海部品」とでもいおうか。
ウエア類だけでなく、ごっついリアキャリアからマフラー、タイヤ、足回り部品、ケミカル類が豊富だった。これなら、日本と同じ感覚で整備や改造ができそうだ。ちょっと安心し、またガラの悪いシティーレールに乗って帰る。

帰り道に中華街に寄った。食料品店で信じられないものを見つけた。

日本でもおなじみのインスタントラーメン「出前一丁」。よく見ると、袋に書かれた「おかもち小僧」がパツキンだった(爆) 
しかも、一種類ではない。「海鮮風味」「牛肉風味」「鶏肉風味」、「米麺」(ビーフン)など、さまざまなバリエーションがあるのだ。ごまラー油が付いているのは標準タイプのみだったが。この出前一丁の出会いは、後のボクのオーストラリア食生活で多大な影響を及ぼすことになる。


宿に戻ると、同室の皆さんも戻っていた。ちょうど、みんなでダベリングの最中。片言英語ながら、2人の女の子(アメリカ人)と話した。

ジェス「オージー英語は難しいわねぇ」
ボク 「ボクはオージーだろうがステーツだろうが、どれも難しいよ…」
ジェス「何いってんのよ!あたしなんかスペインからDCに住んだんだけど、1カ月でしゃべれるようになったわよ」
ボク 「そ、そーなの?」
ジェス「そーよ! だから元気出しなさい」


ちょっと勇気づけられた。


そのとき、「ど、どーん」という音が外からした。

「花火だ!」

まさか、オーストラリアで打ち上げ花火が見られるとは思わなかった。

しかも意外にキレイだ。思わず「玉屋ー!」と叫んでいた。

ジェスに「何それ?」と聞かれたので、日本では美しい花火を見た時、こういう風にはやし立てるんだ、と日本文化を紹介しておいた。



こういて、豪州での長〜い一日目は終わった。


<続く>

komelong_01-160.gif
posted by こめろんぐ at 19:54 | Comment(5) | TrackBack(2) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月30日

1992年12月4日 ここは豪州の歌舞伎町・キングスクロス

赤いおんぼろ車は、やがて近代的な建物の間を通り抜けるようにハイウエーを駆け抜け、いつの間にか都会のど真ん中を走っていた。新しいミラービルと、古いれんが造りの建物が混在し、なのに妙に一体感のある町並みだった。東京とも大阪とも違う、雑多な雰囲気だ。当たり前だが、異国情緒がたっぷり。

道ゆく車は、妙に日本車が多い。中でも目立ったのはマツダ車だ。「323」を名乗るファミリア、「626」を名乗るカペラがやたら多かった。ファミリアの兄弟車=フォード・レーザーの姿も多い。次に多いのがトヨタ・ランドクルーザー。「4ランナー」を名乗るハイラックス・サーフもいた。と思ったら、日本ではマイナーないすゞ・ビッグホーン(豪州ではホールデン・ジャッカル、と名乗る)と二台続けてすれ違った。日本車で右ハンドル車だから、とても海外に来たと思えないが、標識は英語表示しかないし、信号機も見慣れない格好をしている。何より、ボクの隣に座っているのは、青い目の金髪の女の子だ。

車は何度か交差点を曲がり、やがて繁華街に入った。地下鉄の入り口が見えた。「KingsCross」と書かれていた。
キングスクロスは、シドニーの歌舞伎町とも呼ばれ、オーストラリア最大の繁華街だ。この駅のすぐ側にはマクドがあり、その手前にはケンタッキーもあった。

車はそこから二分ほど走り、下町っぽい雰囲気のところに止まった。目の前にれんが造りの古めかしい建物が数件並んでいた。ここが、ダイアナおばさんが経営するバックパッカーズホステル「Backpackers Village」だった。(以降「ビレッジ」と表記)

ここで車を降り、チェックインした。おばちゃんの家と泊まる建物は別々だ。真鍮製の鍵を二本受け取った。一つは玄関用、もう一つは部屋用だ。ビレッジは三階建てが3棟あった。ボクは「3」と書かれた棟の玄関にはドアノブはなく、鍵穴に鍵を差し入れて回し、押すと木製のドアが開いた。

ボクの部屋は二段ベッドが4つ並んだ8人部屋だ。広さは12畳以上ある。窮屈さよりも広々としたイメージだ。部屋にテレビはないが、コンロや冷蔵庫はあった。飯はここで自炊しろ、ということらしい。
この部屋には日本人はボクの他に2人。1人はチャリダーのマサさん(仮名、以下同じ)。もう一人は大学で卒論を書き終えた後、貧乏旅行中のヤスさん。マサさんは前の日に到着し、日本から持ち込んだ自転車の整備にいそしんでいた。ヤスさんは1週間前から滞在しているという。マサさんは豪州横断を目指している。ボクはバイクで一周が旅の目的だ。手段は違えど似たもの同士。この日からウマが合った。
他の面子は、ドイツ人の男1人、アメリカ人の女の子2人だった。


sydney-1204-1.jpg
【写真】自分の窓から見えた景色。普通に住宅街の真ん中だ。しかし、ここでは驚くべきことがいろいろ起こった…。(部屋の写真を撮ればおもしろかったのだが、当時はそこまで気が回らなかった)

宿には他にも日本人がいて、2人はライダーだとのこと。早速、挨拶し、情報交換をしようと思ったら、午後からパラマタという街に行ってバイク屋巡りをするという。待ち合わせし、同行することにした。何せ、ボクはこの街でバイクを買わないと旅立てないのだ。

気がつくと、お昼の時間をとっくに過ぎていた。軽くご飯がてら、散歩に出ることにした。
もちろん、タダの散歩ではない。シドニーの地図やオーストラリア全土のロードマップを仕入れる必要があるし、銀行に行って、キャッシュカードを取ってこないといけない。初日から忙しいものだ。


sydney-1204-2.jpg
【写真】ビレッジの近くの道。まっすぐ行くと、キングスクロスの中心街にでる。



sydney-1204-3.jpg
【写真】近くにこんなフルーツ屋台が出ていた。ここにあるフルーツを使い、その場でミックスジュースも作ってくれる。オレンジとマンゴーを混ぜたのがメチャクチャうまかった! 昼飯がてら近くのサンドイッチバーでツナサンドも買ったが、これもボリュームたっぷりでめちゃウマ。ジュースはA$1.20(1ドル20セント、以下同じ)、ツナサンドはA$2.10なり


実は今回の旅にあたり、資金を3つに分けた。1つはANZ銀行に預金し、キャッシュカードを使って旅先で下ろそうという魂胆。オーストラリアの主なスーパーでは、銀行のキャッシュカードをデビッドカードとして使えたのだ。もう一つはトラベラーズチェック(TC)。あとの一つは日本の口座にそのまま置き、クレジットカードの引き落としに使った。クレジットカードは使いすぎにご用心だ。

なので、ANZ銀行シドニー支店でカードを受け取るのは、資金の三分の一を手中に収める重要なことなのだが…

銀行、閉まってたil||li _| ̄|○ il||li

今日は土曜日。週末は全世界共通で、銀行は休みだった。まあ、あり合わせの現金はあるのでよかったが。

そんなことをしている間に約束の時間になった。ライダーの2人と宿のロビーで合流する。

そして、歩いて10分のキングスクロス駅から地下鉄(正確には州営鉄道「シティーレール」)に乗り、ボクたちはパラマタへ向かった。


<続く>

komelong_01-160.gif
posted by こめろんぐ at 14:56 | Comment(9) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月25日

1992年12月4日 シドニー・キングスフォード・スミス国際空港−

名古屋・小牧空港から飛んできた、機体の半分がカンガルーの、もう半分が鶴のマークのジャンボ機が、灼熱の大地に着陸した。アスファルトの継ぎ目をごとんごとんひろいながら、10分ほども滑走しただろうか。やがて、立派なターミナルビルに横付けされた。
結構乱暴なフライトだったように思う。とにかく、揺れまくった。飛行機嫌いのボクはずっと生きた心地がしなかった。夜間のフライトだったのに、ジンのダブルロックを3杯飲んでも寝られなかった。
おかげで、二日酔いのまま、ボクは初めて「大陸」の土を踏んだ。

空気の臭いが日本と違う。海のにおいもするが、何か砂が乾燥したような、からっとしたにおい。これがオーストラリアのにおいだ。空は晴れ渡って、オイラが背負っているバックパックよりも鮮やかなブルーだ。ちょっと気分が乗ってきた。

その乗った気分が、入国検査で引っかかり、ちょっとブルーになった。
どうも、インスタントみそ汁について説明しろ、といわれている。
なんと説明しようかと思案していると、厳つい制服のオッさんがいきなり「タベモノ?」と聞いてきた。日本語だと理解するのに10秒かかった。「い、いえーす」。焦ってメチャクチャ日本語発音で答える。そのオッさんはにやりと笑い、「ノープロブレム。ウェルカム!」。通って良いらしい。努めて英語発音で「サンキュー」と言い放ち、ゲートをくぐった。

シドニー空港のロビーは広い。中でサッカーコートが何面も取れるんじゃないか。とにかく巨大な空港だ。ロビーを行き交う人々はみんな、英語しかしゃべってない。案内標識も全部英語だ。日本語なんてかけらもありゃしない。さて、どうやってシドニーの街中まで行こうか…。っていうか、だいたいにして宿も決めてない。どこか適当なユースでも泊まればイイや。そんな感覚で、国境を越えてしまっている。そもそも、地下鉄か何かがあるはずだが、その乗り場が分からない。さてはて、どうしたものか。時間はもうすぐ正午。飯を食ってからにするか、街に出てから飯にするか…。

空港ロビーをウロウロしていると、ボクを呼び止めるおばさんの声がする。なんだろう。
その、恰幅のいいおばさんの話を聞いてみる。彼女はごくごく簡単な英単語だけで話しかけてきた。

おばさん「兄さん、日本人かい?」
ボク   「うん」
おばさん「宿は決まってるのかい?」
ボク   「いや、決まってない。これから見つけようと思ってる」
おばさん「なら、ウチの宿にとまりな。安いよ。それにここから送っていってあげる」
ボク   「ユースか何かに泊まろうと思ってるんだ」
おばさん「ユースより安いよ。バックパッカーズホステルだ。日本人もいるよ」
ボク   「バックパッカーズホステル?」
おばさん「ユースみたいなもんさ」
ボク   「いくらなの?」
おばさん「1泊3ドル、他にキーデポジット(保証金)で10ドル預かるよ。食事は出さないから」
ボク   「ふーん。1週間くらい泊まれる?」
おばさん「オフコース」
ボク   「じゃ、泊まるよ」
おばさん「オーケー。私はダイアナよ」
ボク   「ボクはこめろんぐだ」

…今、冷静に考えると、よく承諾したなと思う。どう考えても危ないし。
ただ、このときは、何となく「そんなものありかな」的な雰囲気で、おばさんについて行くことにしたのだ。

おばさんは「ちょっと待ってな。ほかの泊まり客も迎えに行くから」と言い残し、ボクを置いて出かけてしまった。

しばらくして戻ってきたおばさんは、学生らしい外人を3人連れてきた。

そして、おばさんについて行き、しばらく歩いたところにある駐車場から、ちょっとくすんだ赤いステーションワゴンに乗り込んだ。

ホールデン・カミラ。初めて見た車だ。外車だけど、右ハンドルなので、日本車に見える。もっとも、オーストラリアは日本と同じ左側通行なので、外車だろうが日本車だろうが全部、右ハンドルだ。
この車にはエアコンはなかったので、窓を開けた。風が気持ちいい。サスペンションをきしませながら、車は空港から街に向かうハイウエーに入った。目の前に摩天楼がぐんぐん迫ってきた。


<つづく>

komelong_01-160.gif

<補足>
■当時の1オーストラリアドルは約80円。
■このころは中部空港なんて存在せず、国際線も小牧空港から発着していた。その小牧空港発着でJALとカンタスの共同運航で、ケアンズ経由シドニー行きという豪州直航便が存在していた。この共同運航に使われた機材は機体の片側がJAL塗装、もう片方がカンタス塗装で、クルーも両社が半々、という完全な共同運航だった。
posted by こめろんぐ at 23:25 | Comment(10) | TrackBack(0) | 灼熱大陸単車紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。